50mmという画角の面白さ
これまでもちょいちょい触れてますが、50mmという画角は目の前で見ているものを切り取れる画角と個人的には考えています。
「視界に入っているもの」ではなく、「目の前で見ているもの」というのが重要で、自分の中で見ていると認識しているものを取るという感じですね。
なので、視界に入っているものはもっと広い範囲であるんですが、意識がちゃんと向かっていて見ていると認識している部分をそのまま撮影する画角が50mmという感じです。
ちなみに、「視界に入っているもの」を取る画角は、個人的には35mmです。35mmで撮ると見ている範囲のものは全部入っているんだけど、意識が届いていない部分もフレームの中に入ってくる感じです。
どちらも使いやすい画角なんですが、今は「目の前で見ているもの」を切り取る50mmという画角が面白く、ひたすらズミクロン50mmで写真を撮っています。
もはや50mm修行
単焦点レンズで写真を撮るということは、1つの画角で撮ることになるので、撮りたい対象との距離を自分の足で移動して調整していくことになります。
これを50mmでやると、「目の前で見ているもの」をどの距離・角度で見るかを動き周りながら考えて写真を撮っていく感じになるので、ひたすら動き回る感じになります。
さらに、ズミクロンは最短撮影距離が70cmなので、寄りすぎると撮れないという制約もあります。
この動き回る動作とレンズの制約の中でどう表現していくかを模索し続け、さらにはライカなのでマニュアルフォーカスでピントを合わせていく。
そして、もう少し広く撮りたいなと思うこともあり、少し下がって撮り直すなんてことをしながら、もはや修行のようだなと、その制約と不自由さを楽しんでいます。
自分の見た世界を残していく
50mmという画角の楽しさをいろいろと書きましたが、画角という側面から考えると、50mmというのは紛れもなく「自分が見ているもの」を残していく所作なんだと思います。
つまり、50mmのレンズで撮り続けることは、自分の見た世界を残していくことなんだと思います。